人生の指針・寺山修二

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のりゆき@とりとめのない話職人 です。

 

 

 

「遊びが仕事になる時代」

 

そんな言葉を、最近いろんなところで聞くようになりました。

 

でも、これって、

 

今の時代に始まったことじゃなく、

 

もともと普遍的なことだったんじゃないかと思うのです。

 

 

ライオンも、

 

ゾウも、

 

 

テナガザルも、

 

 

アメリカザリガニも、

 

 

ミジンコも、

 

 

ミドリムシも、

 

 

各ミトコンドリアも、

 

 

突き詰めれば、それ自体に存在意義はないので、

 

 

結局遊ぶ日々を過ごしているんじゃないかと思うのです。

 

 

 

 

人間だけが、

 

 

いつしか「遊ぶ権利」を失った、

 

 

劣等生物だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の一番好きな作家は、寺山修二。

 

そーいや、

 

寺山修二を教えてくれたのも、

 

てつやだったっけ。

 

 

 

以来、テラヤマワールドにどっぷりんこ、浸かってます。

 

 

 

その中でも一番好きな詩が、

 

 

~遊びについての断章~

 

 

寺山修二 ~遊びについての断章~ CM動画

 


 

かもめは飛びながら歌をおぼえ

人生は遊びながら年老いてゆく

 

遊びはもうひとつの人生である

そこにはめぐり逢いも別れもある

人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、そしてあることを捨てる

 

人はだれでも

遊びという名の劇場をもつことができる

 

悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ

そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる

 

ぼくは人力飛行にあこがれていました

飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした

ぼくは大空を見あげて思いました

プライバシーなんかいらない

フライバシーがほしい、と

 

遊ぶことは 冒険することであり、

ためすことであり、知ることだったのです

 

ぼくは「運の悪い女」がきらいです

なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです

遊びは、不運な人たちにも

「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです

だからぼくは、いつでも自分に掛ける

 

どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、ツキがまわってくるんです

はじめて競馬場へ行ったとき

はじめて玉突きを覚えたとき

はじめて女を口説いたとき

 

だからぼくは

皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです

政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる

そういうもんじゃないのかな、遊びなんて

 

人生が終わると、遊びも終わってしまう

 

しかし、遊びが終わっても人生は終わらない

 

遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる

 

出会いと別れのくり返し

 

そこが遊びのいいところなんだね

 

人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる

 

そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある

 

「誰が故郷を思わざる」なんて唄は

競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか

 

 

人生が、いつばん安上がりの遊びである

 

死が、いちばん高くつく遊びである

 

 

遊びは、人生の時刻表である

 

人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ

 

人生は汽車である

旅をしながら年老いてゆく

 

 

遊びは不幸な人間の第二の人生である

 

遊びは不幸な人間の第二の魂である

 

人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる

それは遊びである

ドストエフスキーは言っている

「一杯の茶のために、世界など滅びていい」

 

夢の中で無くしたものを

 

目がさめてからさがしたって見つかる訳はない

 

現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない

 

人は誰でも二つの人生をもつことができる

 

遊びは、そのことを教えてくれるのです

 

 

 


 

 

 

 

 

冒頭の

 

 

「カモメはとびながら歌を覚え」

 

 

これは、何を意味するかというと、

 

 

カモメは、歌を覚えるのに、

 

 

音楽のレッスンを受けるわけでもなく、

 

楽譜を読んで練習するわけでもなく、

 

「飛ぶ」という遊びの中で、

 

さらなる「歌う」という遊びを

 

自然と覚えるわけです。

 

つまり、

 

「遊ぶ」ことでこそ、

 

生き物は成長する、

 

そんなことを言わんとしているのです。

 

 

 

 

 

今、

 

僕は、実兄の住む東京都府中市に居候しています。

 

 

 

府中といえば、東京競馬場。

 

先ほどの寺山修二の動画が撮影された場所です。

 

期せずして住むことになった府中市。

 

やっぱり、人生って、

 

不思議な引き寄せ力で、

 

好きなもの・場所に無意識にたどり着くようですね。

 

 

「人生が、いちばん安上がりの遊びである

死が、いちばん高くつく遊びである」

 

 

「死」とは、

 

「遊び」を失うことかもしれない。

 

 

 

「生きながらにして、死んでいる」

 

 

とは、「生きるために『遊び』を捨てている」という

 

 

本末転倒なことかもしれない。

 

 

 

同じ品質なら、

 

だれでも「安い」方を買うのが合理的です。

 

 

 

もはや、

 

 

「遊ぶ」

 

 

ことしか、

 

 

生きるすべは残されていない、

 

 

そんな気がしています。

 

 

 

 

 

てーつーやーくーん、

 

 

あーーーーそぼっっ

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